匠が作る日本文化を代表する工芸品:日産GT-R 2013年モデル試乗レポート(4)
2012.11.27「安全と走行性能は両立する、未来からやってきたGT-R:日産GT-R 2013年モデル試乗レポート(3)」のつづき。
日産GT-Rの2013年モデルの変化のひとつとして、エンジンをくみ上げた職人の名前がアルミネームプレートで貼り付けられます。性能にも耐久性にも影響せず、ひいては世界で名を知られた開発主管の水野氏のサインでもない、エンジン職人の名前です。これに一体なんの意味があるのでしょうか? しかしこれは大きな意味を持つのです。
(写真は2012年モデル。2013年モデルからチェーンカバーにアルミ製ネームプレート装着)
【エンジンのネームプレート】
これを聞いたとき、グッとこみあげるものがありました。GT-Rのエンジンは一人の職人が1機のエンジンをくみ上げます。ミッションも同様です。エンジン職人は選ばれた6人しかおらず、この職人めいめいの名前をネームプレートとして刻むといいます。選ばれた職人の、ぎゅっと気が引き締まる思いが伝わってきます。それと同時に名誉を噛みしめていることでしょう。世界のオーナーたちの信頼を勝ち得るとともに、同じ職人たちの羨望の眼差しを集めるからです。
自分の名前を刻むことは、責任を伴うことです。これが出来るということは、日産GT-Rの絶大な自信の裏返しであり、そして同時に職人それぞれに対してのご褒美でもあるのです。
エンジン全数性能試験、ボディ全数加振チェック。
部品がもの公差はただ組み上げるだけだと累積するところを、一人の職人が責任をもって組み上げることで、トータルでゼロにすることが可能といいます。これにより最後の厳しい検査をパスし、オーナーのものへと届けられるのです。
これも「感動」のひとつ。開発も感動、作ることも感動を呼び起こします。
所詮鉄とプラスティックの塊である機械自体は冷たく、ぬくもりはありません。そこにエモーショナルな何かを持ちこむことができるのは唯一人間のストーリーだけです。それが「たくみ(匠)」です。
寿司屋ですし職人がカウンター越しに作るのはなぜでしょうか。そば打ち職人が目の前でそばを打つのはなぜでしょうか。そこに作る過程を見たい、見せたいという思いがあるからです。見せるからには滅多なことができない、そしてここにはお客との信頼関係が生じます、任せたよと。任されたからにはただ作るだけではなく、いかに美味しく、楽しく、食べてもらうか。そういった姿勢を感じ取ります。ひいていえば職人と客という関係ではなく、誰誰と誰誰という、人と人との直接的な関係に変わっていきます。
これが単なるマスプロダクションモデルとの大きな違いです。
あなただけの一つ。工業製品でかつ、量産品であることには間違いないのですが、匠が介在することでストーリーが生まれます。そしてストーリーはエモーショナルに訴えかけ、結果「感動」を呼び起こします。
日本には古くから宮大工や石工(石垣作りの専門職)といった専門の技術者集団がいます。城を作るときに石垣は石工が作り、天守閣などは宮大工が装飾を施します。ピラミッドとの違いは大きく重い石を奴隷を使って強制的に運ばせた、のではなく、石を高く買い上げ、それを高い報酬を払って石工に加工、積み上げさせた点です。その結果高い精度で組みあがった石垣は城壁としての役割を越え、ひとつの芸術に昇華しています。日本には高い技術を理解し、それに対して相応の報酬を支払う文化が元々あるのです。
報酬だけではありません。同時にリスペクト(尊敬)をもって接します。その結果職人は自らの技術を切磋琢磨、向上させることに腐心します。ただ同じことを繰り返すのではなく、明日はもっといいものを作ろう、素晴らしいものにしようと。そうして技術は向上し、出来上がる作品はよりよいものとなるのです。
▼石橋の聖地、石匠館は石橋(眼鏡橋)の博物館 ([の] のまのしわざ)
石工集団でいえば、熊本城、江戸城、大阪城の石垣で絶頂を極めたものの天下泰平の時代にいったん廃れた石垣技術、江戸末期・明治初期の眼鏡橋ブームにより再び専門集団として活躍します。その結果明治時代に作られた日本橋、常磐橋は100年をたつ石橋として今もその優美な姿をとどめています。
石橋(眼鏡橋)はその後、鉄橋、そしてコンクリート橋の普及によって終焉を迎えました。そして高い技術をもっていた石工集団は散り散りとなってしまいます。
内燃機関も同じことで、高い技術を誇る今が絶頂期。ハイブリッドやEVがでてきて、その後化石燃料の枯渇とともに終焉を迎えることは時代の趨勢です。であれば、だからこそ、今職人が作る最高の内燃機関の結晶を最高の形で味わうことは至高の喜びに間違いありません。
ミッションの組み付けも職人が一人で組み上げます。当初0.2〜0.25秒かかっていたシフトチェンジ時間が、設計は変わっていないにも関わらず今では0.13秒まで向上しています。これはどういうことか、組みの技術が年々向上しているからです。匠の成長、進化がそのまま製品の向上、進化につながるのです。
ミッションの未来もそう長くありません。EVになればシフトチェンジが不要となるからです。新しいパラダイムが来ると失われていく技術もあるのです。
スイスのハンドメイドの時計、精度や使い勝手を考えれば正確無比な電波時計の方が実用的です。しかし人々は毎年開かれる展覧会に足を運び、職人の技術の結晶に対して高い評価をするのです。同じように、エンジン技術、ミッション技術、そしてそれらをパッケージングしたスーパーカーがあってもいいはずです。
すし職人、タンス職人、宮大工や石工のように。日本人が本来もつ、職人魂。「匠」と呼ばれ技術を磨くことを生き様とする人たち。これらの技術がGT-Rという工業製品となって世界で評価されること。イタリアンクラフトアートでもない、ブリティッシュスポーツでもない、ジャーマンスピリットでもないニホン発祥の新しいスーパーカーGT-R。日本の文化で日本のブランドを作りあげることは同時に日本企業・日産のフラッグシップとなるに値するのです。
ややもすると従業員自体が取り換え可能なマスプロダクションモデル化する傾向にある大企業にあって、技術の中心を人に据え、匠の技術の高さがそのまま製品に反映される、そんなことをやってのけているのです。これに心が震えないで、どこで震えるというのでしょうか。そうです、感動です。
これが出来るのはやはり日本だからこそ。技術に対して理解をし、評価をする文化がなければ成立しません。アニメが漫画が評価されるのは、そこに絵描きという技能、技術者がいるから。3D CGが普及し早々に手描きから全面的に切り替えてしまった米ディズニーと違い、未だに手描きを尊重するのは日本ならでは。簡単にいうと、萌えられるかどうか、という点。萌えとGT-R。似てないようで意外と軸は同じかも知れません。
この日本文化が世界で受け入れられるかどうか、それはアニメや漫画が世界で受け入れられたように、GT-Rも世界で評価されることでしょう。ただそれが数年で成し遂げられるかというと、そんなに性急なものではありません。アニメ、漫画がジワジワと受け入れられたように、マルチパフォーマンスカーというスーパーカーのジャンルを切り拓いたGT-Rが世界で受け入れられるには時間が必要です。
そのためには毎年の進化が必要で、匠の進化のフィードバックとしてのイヤーモデル(毎年マイナーチェンジ)なのです。
いつ買っていいのか分からない、そんな消費者の声が聞こえてきますが、答えは簡単。買いたいときに買えばいい、ということです。買う時期を自分で選ぶことができるということです。メーカーが決めた3年のマイナーチェンジ、6年のフルモデルチェンジというのはメーカーの都合でしかありません。最新のモデルが最高のモデルなのでそれが欲しい人は最新型を、そうでない人は適度な中古を求めればいいことでしょう。
中古だと程度が気になって...
ご安心ください、GT-Rは品質も耐久性も高いんです。その秘訣はまた次回。