レストアに必要なのは経済力ではない。愛、勇気、そして仲間だ! #fz250
2016.07.20今このご時世に名車をレストアしなければならない、その理由はこちらで述べた。
クルマ・バイク好きの我々がいまレストアしなければならない理由【ワンダードライビング】
パーツ供給がまだ細々と続いている今でしかできない、贅沢な楽しみといってもいいだろう。そしてこの時期を逃すと、パーツ取り車を複数台もち、その中でマシなパーツを選択して取り付けるニコイチ、サンコイチ(2個1、3個1)の世界に突入だ。まるでアフターウォーの文明が荒廃した社会のようになるのだ。
高度文明社会の落とし子であるモビリティの進化は1900年代がもっとも盛んであった。出るニューモデルは燦然と輝き、若かった我々の目を奪った。しかし悲しいかな、当時の経済力では手が出なかったのも事実で、指をくわえてカタログを嘗め回すように読むしなかった。
あれから数十年。
そこそこの経済力がつき、一方当時のクルマ、バイクは経年劣化により安く、そしてインターネットの普及により見つけるのが容易となった。憧れのバイクをいくばくかの値段で手に入れることができる。
今回はレストアプロジェクト第2弾として、バイクをターゲットにバイク選びから開始した。
phase1: バイク選びは愛
まず最初に憧れの名車選びからはじめる。1980年代のバイクはどれも30年オーバーの低年式、整備状況にもよるがだいたい10~15万円前後で取引されている。
その中で今回ターゲットにしたのはヤマハ FZ250 PHAZERだ。
その理由はデザインがカッコいいから。
もう論理性とか経済性、もちろん実用性などまったく考慮されない。子供が「この車、かっこいーー」というのと同じ直感だけである。もちろん当時町中で見かけることはあっても友人知人が乗っていたわけでもなく、触れたことも、近くでエンジン音を聞いたこともない。まさに「憧れだけの存在」。
一般的にはその後でたレーサーレプリカタイプのFZR250が人気であり、PHAZERははっきりいって不人気車である。しかしむしろこういった場合不人気車の方が購入価格が抑えられるというメリットがある。マイノリティ万歳である。
FZ250 PHAZERが画期的な理由
まずはそのデザイン性であろう。空力性能を考えられたフェアリング(カウル)はCdA値0.29と空気抵抗が低く、ボディ一体型のウィンカーは未来的な雰囲気を醸している。今見てもこれが31年前、1985年に登場したものとは思えない。
1985年4月1日、ヤマハ発動機は、当時流行の"レーサーレプリカ"とは一線を画すニューモデル、FZ250Phazerを発売した。斬新なデザインで軽量・コンパクトな車体に、超高回転・高出力型の4ストローク・4気筒エンジンを搭載した意欲作である。
250ccクラス初の4気筒エンジン搭載。その裏には2ストロークエンジン、ホンダのV型2気筒エンジンに対抗するために高回転高出力エンジンを実現するために、多気筒化した経緯がある。その後250ccクラスで各メーカーが追従して4気筒エンジンを投入するがその急先鋒、まさに呼び水となったマシンである。
FZ250 PHAZER 開発者インタビュー - 企業情報 | ヤマハ発動機株式会社 企業情報
レーサーレプリカブームを反映したFZR250に道を譲るまでの1年8カ月、25,000台を出荷している。
いろいろ理由をつけたが、ようはFZR250よりもスリム、シンプルで前傾がきつくない、カッコいいから、ジェットサウンドが聴きたいという憧れが強い。ようは愛である。愛があるから、これを選んだのだッ!
phase2: 一歩踏み出す勇気
バイク選びが済んだら、ヤフオクでチェックである。しかし不人気車、出荷台数も限られておりしかも31年前の車両である。ふんだんに流量があるわけではない。つまり選ぶことはできない、ということだ。出てきたらそれを買うか買わないか、見逃したら次でてくるのはいつかはわからない。もしかしたら一生出てこないかもしれない。
そんなことを理解せずに最初に見つけたPHAZERは入札をせず、13万円で落札されていくのを横目でみていた。落札された後に、入札しないことを悔やんだ。次のPHAZERはなかなか現れなかった。
そのときハッと気づいた。なんということをしたんだと。いやしなかったことを悔やんだ。
自分の座右の銘に
「行動しなかったことを悔やむくらいなら、行動して悔やんだ方がいい」
というのがある。まさに今回は悔やんだ、しなかったことを悔やんだ。
そして次のPHAZERが現れた。それは立川と至近、しかも部品どり車付きの出物である。これは落とすしかない、そう考えた次の日。出品はキャンセルされていた・・・
入札していればキャンセルされることはない。おそらく誰かが直接交渉してかっさらっていたのだろう。またもや悔やんだ、入札しなかったことを悔やんだ。
そうして1週間たったころ、第三のPHAZERが現れた。速攻で入札した。そう、一歩踏み出す勇気が必要なのだ。
はっきりいってバイクは要らない。ヤマハMT-07があるしクルマも複数台ある。31年前のバイクがまともに走るわけがない。手間もお金もかかる、そういった後ろ向きな気持ちを振り切って入札ボタンを押したのだ。
phase3: 不退転の決意と仲間
今度のPHAZERは埼玉熊谷発、取りに行ける距離である。状態は「エンジン始動確認、書類つき、バッテリーなし。写真ではそこそこ綺麗ですが、年式相応です」とある。エンジン始動が確認できないものや、書類なし部品取り車が多い中、エンジンが始動できるのはかなりラッキーである。
そうして気合で落札、さっそく入金して回収の手筈を整えた。しかしこのときは地獄の一丁目であることに気づかなかった。
軽トラックのレンタカーを運転すること2時間。なにもない田んぼの真ん中にその倉庫はあった。倉庫の中にはバイクが数百台はあろうかと思うほど詰め込まれ、入り口の外にポツンとPHAZERがおいてあったのですぐに分かった。
一目見て「やばい」と気づいた。確かに説明どおりに写真では綺麗だが年式相応、いや程度は悪いといっていいだろう。念のためエンジンの始動を確認、軽快な4気筒サウンドが畑に轟くがそれは奇跡的といっていい。
フロントフォークからはオイルがにじみ出て、ブレーキも固着して動かない、レバーの手ごたえがない。
綺麗にみえたフレームは錆止めのグレーの塗料で塗られており、しかもそれは刷毛で塗られた雑なものだった。同様に写真映えするように油をタイヤやナンバープレートステーに塗りたくられており、まさに写真映え仕様。フレームの奥を見れば錆が出ており、タイヤもひび割れだらけ。チェーンは長期の放置により錆だらけでガタガタである。
おそらく事前に下見していたら入札しないし、現金手渡しだったらその場で断っていたに違いない。この状況をfacebookで報告したら口の悪い友人からは、「ゴミ、クズ」と評されたほどだが、それも真理である。たとえエンジンが始動し、書類があるのでナンバーがついたとしても走行は不可能だ。
そして書類をみて理解した。色あせた廃車登録証には平成13年の文字が。つまり15年前に廃車されたまま、ナンバーをとることなく今に至ったのである。この15年間どうしていたのか、まったく推測のしようがないが、業者を転売されたのだろう。写真映えをよくするための作業はされただろうが、中身はまったくの手つかずである。手ごわい、というよりはまさにゴミ、クズといっても差し支えない。
しかしである。書類はある。エンジンは始動する。希望はある。
怖気づく私の心を奮い立たせるのは、このレストアを手伝ってくれる仲間の存在である。どんな苦境、逆境にめげるどころか、目を輝かしてレストア方法を指南してくれる。そう、手間さえかければできないことはない、なぜならまだパーツが供給されているからだ。
こうして仲間と一緒にPHAZERのレストアがはじまった。
この物語が無事ハッピーエンドとなるのか、途中であきらめて転売するか、それは皆さまの応援次第かもしれない。応援、よろしくお願いします。
レストア部では部員募集中。幽霊部員、応援係、見てるだけ、通りすがり、大歓迎です。またレストアに必要な機材やケミカル用品など提供してくださる企業、団体様も募集しています。ご協力、ぜひよろしくお願いします。