御茶ノ水駅・聖橋を下から目線! 東京河川クルーズレポート(4)
2011.12.13「日本橋に常盤橋、眼鏡橋(石橋)好きにもたまらない! 東京河川クルーズレポート(3)」の続き。
「え、聖橋ってこんな形だったの?」
そりゃそうですよね、普段は目にできないんですから。しかしボートならごらんの通り、半円状のコンクリート・アーチ構造を綺麗にみることができます。
(聖橋は6:40くらいから。「キターーー」という声で分かります)
好きな場所でスピードダウン、じっくり景観を堪能。写真もとり放題です。
聖橋 - Wikipedia 放物線を描くアーチ橋で、形式は鉄筋コンクリートアーチ橋。関東大震災後の震災復興橋梁の1つで、昭和2年(1927年)に完成した。設計・デザインは山田守、成瀬勝武。名前は東京府東京市(現:東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名された。橋は船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされており、御茶ノ水駅のホームからはややそれに近い視点で見ることができる。現在、夜間はライトアップされている。
東京お茶の水の聖橋(昭和モダン建築探訪)|旅とお散歩|ウーマンエキサイトブログこの聖橋の設計を手掛けたのは建築家の山田守(1894~1966)。
晩年に設計を手掛けた京都タワーや東京の日本武道館が良くも悪くも知られる建築家であるが、震災直前の大正10年に帝国大学の同窓生だった石本喜久治や堀口捨巳、森田慶一らと共に〔分離派建築会〕を結成し、大正末から国内の建築界においてモダンな建築文化を推し進めた人物であった。
(中略)
このタイプのデザインの橋梁というのは全国に数多くあるが、山田作の聖橋の面白さは御茶ノ水界隈の地形を見方に付けてしまったことではないかと思う。
冒頭の写真でご覧頂いた写真は神田川上流から撮影したものだが、この聖橋を境に川両脇の高い丘は一気に坂を下り平地になっている。聖橋を見るたび、設計者の山田はこの渓谷の風景のアイストップ的役割を考えに考え抜いて、このデザインを作ったのではないかとも思ってしまう。
もともと本郷台地として左右はつながった地形だったのに、江戸普請で掘って分断、神田川を作ってしまったんです。そのため両脇は江戸時代の石垣、これだけの高低差なのでその土の量たるや相当なもの。その土はどこに行ったかというと・・・銀座の埋め立て!
実は江戸初期海岸線は日比谷まできていたのです。それをこの神田川の工事でできた土を使って埋め立てしてできたのが銀座というわけ。荒川、利根川のつけかえ治水工事といい、江戸の街づくりの規模の大きさは想像を絶しますね。
まあそれはおいといても、この景観は美しいです。いやーボートって本当にいいですね!
なんと地下鉄丸の内線の下をくぐります。地下鉄が川の上っていうのも不思議な話ですが、その地下鉄の下をくぐるなんて体験、なかなかできません。
この調子で万世橋、秋葉原を通過して隅田川へ合流します。いや~楽しい。
(つづく)⇒川から見るスカイツリーとアサヒビール吾妻橋ビル! 東京河川クルーズレポート(5)
【撮影機材】