従来型ゴールドウイング試乗インプレッション(2) 旗艦の司令官になる覚悟はあるか
2018.01.24従来型ゴールドウイングのハード面について前回お伝えした。今回はフィジカルとメンタルについて触れたい。そう、覚悟の話だ。
旗艦の司令官らしく
ゴールドウイングはその大きさ、重量からどうしてもフィジカル面で語られがちだ。ヤフー知恵袋やkakaku.comの口コミ情報を見ても「デザインが好きで乗ってみたいですが、大丈夫でしょうか?」といった質問が散見される。そしてその回答はゴールドウイングを乗っていない人の先入観や一般論で語られることが多く、要領を得ない。
短い期間であったが、実際に乗ってみたがフィジカル面は最初のハードルではあるが、少し慣れてしまえばそれよりも大きなファクターがあることに気づく。それはメンタルである。
フィジカルよりもメンタルタフネス。
よく見ればあの巨体に乗っているメインユーザーはほぼオッサン、オジサン、オジイサンである。年齢的に言えば50代、60代がメインだ。いくら若い頃にフィジカルが強かった人でも、そしてアメリカ人といえども年には勝てない。フィジカル面でいえば衰えていることは明白だ。それでも乗り続けられるのはどうしてか? メンタルが強いのである。
このゴールドウイングに乗るぞ、という意思の強さである。
取り回しの重さ、一回倒れ始めたら支えきれない重量、低速域ではフィジカル面でハードモードであるがそこで要求されるのは実は体力や筋力ではなく、その緊張に耐えられる精神力や忍耐力が要求されているのだ。
そしてこれこそはフラッグシップ(旗艦)に乗るということでもあり、艦隊司令官になるということである。
艦隊司令官はその行動、言動全てに責任を負う。戦果をあげても、損害を被ってもその責任が問われる。言い訳はできないし、しても意味がない。全てを包み込み、艦とともに運命を共にするのだ。
日本海海戦でいえば、戦艦三笠と東郷平八郎のようなものだ。
「皇国の興廃、この一戦にあり」
もうこれ以上後がない、という意味で「Z旗」をあげた旗艦三笠。
多くのオジサン、オジイサンユーザーがこのゴールドウイングを終の住処とするのは、まさに運命を共にする旗艦そのものである。
生きるとは何か? 人生とは何か?
それを問われ、それの答えがここにあるのだ。
だからこそ「大人」である必要がある。旧来年齢で大人になれた時代があった。しかし今は成熟しないままの「子ども大人」も多い。肉体は大人だが、心は子どものままだ。自分自身が成熟できているのか、それを試される。
逆にそれを乗り越えた時、想像もつかない充足感や達成感があるに違いない。
そんな世界が垣間見えた、ゴールドウイングの試乗である。自分自身が旗艦にふさわしい「人間」になれているのかどうか。重さが取り回しが価格が、といったことで逡巡するようではまだまだ「小僧」である。迷いはあってもいい。しかし強い意思を持って接したい、それを乗り越えたとき、人生に黄金の翼が授けられるのだろう。
(新型ゴールドウイング試乗レポートに続く)