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九州ツーリング Day2: 西南戦争を訪ねる、田原坂〜熊本城〜八代

2016.11.28

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お天気に恵まれ、博多から実家のある熊本県八代市まで移動です。実家に帰るのは1年半ぶり、バイクで帰省するのは人生初です。

西南戦争史跡:田原坂で激しい頭痛

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教科書にもでてくる「西南戦争」の激戦地「田原坂(たばるざか)」。しかし景勝地というわけでもなく、いったことはありません。不慣れな土地柄で熊本城にいくナビを設定して走っていると、看板で「田原坂」がたくさん表示されます。

まったく最初のいくつもりがなかったのですが、激しい頭痛が襲ってきたこと、そして吐き気までしてきたので急遽コンビニで停車休憩。そこでも田原坂の案内板が目立つところにあるので、行ってみることにしてみました。

熊本市田原坂西南戦争資料館 - 【満遊!くまもと】

頭痛の原因判明


行ってみると頭痛の原因がわかりました。それは私がもともと霊感が強く、こういう激戦地にいくと地縛霊のためか急に具合が悪くなるのです。八代の八代神社も西南戦争の激戦があり、木に弾痕が今も残っているのですが、そういうところにいくともうてきめん、ダメになるのです。

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田原坂資料館には弾痕の残る倉が残っていました。ああ、これだ、間違いない。

なぜここ田原坂が激戦区となったかというと、今はJRの電車が走っている鹿児島本線をはさみ、前線が対峙したためです。

西南戦争は日本歴史上最後の内乱。熊本の地元の人にとってはどちらもよそ者で、政府が分裂してやってきたようなものですから、迷惑以外の何物でもありません。新政府軍(官軍)と薩軍が分かれてやってきて、前線をつくってどんぱちやりはじめたので、民衆は逃げまどいます。

ところが遠くで逃げているので、それが両者から民間人なのかどうかすらわからないから、砲撃、銃撃して殺してしまうんですね。

それ以外にも夜になると官軍が村にやってきて、薩軍が隠れてないか一軒一軒家に火をつけてまわって、村のほとんどが焼き尽くされたそうです。そりゃ熊本県民が政府を信用しないのもわかりますって。戦争というよりも、殺戮に収奪ですからね。

田原坂で膠着状態が続いた理由のひとつは、その地形にあります。

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急峻な山は森林に覆われ、待ち伏せにとても向いています。

薩軍は士族を中心とし、戦国時代と変わらない旧式の銃を利用、前ごめ式だったので1分に1発しか撃てないもの。一方官軍は農家の次男、三男を中心とし、最新のライフルを利用。現代と同じく後ろで装填可能で、1分に3発撃てます。

そのため中距離では物量に勝る官軍が攻め入るわけですが、山に進軍するとその様相は一変。士族を中心とした薩軍はもともと武道・剣術をたしなんでいたわけで、白兵戦となると元農家を当然圧倒します。そのため攻め入っても攻めきれない、という状況が続いたのです。

そのため官軍も元士族を中心に「抜刀隊」を組織、その名の通り刀を使っての白兵戦を得意とする専門部隊で、これを切り込み隊長としてようやく切り崩すことに成功したというものでした。

西南戦争は薩摩対中央政府ととらえられがちですが、実際には旧来の士族が剣術をつかった最後の戦争であり、身分制度の崩壊、士族の凋落を決定づけたものです。

まあそれをここ、熊本でやってくれるな、というのが地元の正直な感想。

西南戦争を凌ぐ熊本地震の被害

熊本城も西南戦争時に天守、本丸御殿を焼失するなどひどい目にあっています。特に天守は官軍が士気をあげるために火をつけたといわれており、本当に迷惑なはなし。

ところがその時よりも、今回の熊本地震の被害は大きく、甚大です。

熊本城公式ホームページ

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観光名所ともなっている本丸へのアプローチはこのとおり石垣が崩れ、現在立ち入り禁止。

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天守は瓦屋根は崩れ、しゃちほこもありません。もちろん石垣も崩れ、なんとか天守が乗っかっている状態を保っているだけ。

正直ここまで大きく、ありとあらゆる場所が被害を受けているとは思っておらず、その途方もなさに気が遠くなりました。

駐車場管理人に聞いた所、天守の修理に3年、お城全体は20年かかると見込んでいるそうですが、とてもじゃないですが、そんな短期間では難しいだろうというのが正直な感想です。なにせ、普通に復元するのだって、何年もかかるのですよ。

弘前城石垣修理事業「弘前城が動く」 | 弘前公園総合情報

計画的な修復作業とちがい、石垣が崩れてしまうとどの石がどこにあったかわからず、まずはそこから始まります。国の重要文化財に指定された石垣は修復は許されても、作り直しができません。青葉城は地震のたびに外側に新しい石垣を作って3重になっていましたが、そういうこともできないのです。

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痛ましい姿に胸がしめつけられますが、なんとか元の立派な熊本城に戻ることを、心から祈ります。

白玉屋新三郎

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熊本城から八代へ、山沿いの道を抜けてアプローチ。その時に外せないのがこちらの老舗、白玉屋新三郎。創業なんと370年以上。

白玉屋新三郎 - 土に、水に、風に、370有余年

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石臼でひかれる粉で作る白玉が別格に美味しいので、毎日でもきたくなる場所なのです。ところが帰省しても必ず寄れるとは限らず、チャンスがあったら絶対に寄りたい場所。

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今回は季節限定メニューをいただきました。

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白玉をおいしくいただき、無事帰省。移動距離は195kmでした。

次の日は雨予報なので、バイクはお休みです。

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白玉屋新三郎の白玉レシピ
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のりものブロガー

野間恒毅

スーパーカーと美女が好き。 日々RR, FR, FFと駆動方式を選ばずドライビングスキルを磨き、ドライビングプレジャーを追い求めています。リターンライダーとして大型二輪免許取得、大型バイクに乗っています。ミニ四駆、ラジコン、ドローンなどホビーも幅広くカバーしボート。個人ブログはこちら(のまのしわざ


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