ドイツと日本の違いはどこにあるか? 乗り物文化を体感するドイツ旅行(7)
2013.08.15 寄稿者: のま (元記事)ドイツと日本は同じ敗戦国で、資源が乏しく技術立国であることやその高品質なモノ作りから「似ている」と評されることもありますが、その根幹はまったく違います。そもそもあんなに体格から肌の色、顔の形に食べているものまで違うのですから、メンタリティが似るはずはありません。本当にたまたま、何かの綾でOUTPUTだけが似ただけの話で、そこに至るまでのアプローチは違うのです。
さて、交通です。
自動車を語る上で非常に重要なのはその自動車を走らせる道、道路。自動車は道路として作られた場所でしか走れません。ほぼすべての自動車は、自動車が走るための道路上でしか動かされません。道路の上をたくさんの自動車が走ることを称して(自動車)交通と言います。
道路は基本的には地面の上に作ります。地面は地形によって左右されますので、地形に応じた道路が出来上がるのが自然です。ここがまず重要なポイント。
ドイツは大陸に位置し、北部を除いて海はなく、ほとんどが丘陵地帯です。そのためこの丘陵に沿って自動車道路は作られています。無料の高速道路、アウトバーンは高速化をさせるためになるべく直線にするため丘と丘の間を橋でつなぐことがありますが、基本は大陸の地面の上です。
丘陵地帯なので基本的にカーブは緩やか、峠のようなアップダウンが連続するのではなく、なだらかに上がっていき、なだらかに降りていく高低。つまり、これはニュルブルクリンク北コースそのものなのです。
ニュル北コースがベンチマークになったのは、それがヨーロッパ大陸の典型的なレイアウトであり、一般道的なところから超高速域まで試せるのでテストコースとして最適だったからでしょう。さらに荷重が抜けたり、逆に荷重がどっかりかかって車両の剛性が必要となったりと、シャーシ、サスペンション、動力性能すべてが高いレベルで要求されるというのもいいところ。
だからニュルでセッティングしたクルマはサーキットスペシャルではなく、ヨーロッパの公道にピタリとあったセッティングになるわけです。
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一方で日本はといえば、国土が狭いと言われていますが、かつての自動車大国のイギリスよりも面積は広く、島国としては世界最大規模です。ただ一部の平野部を除き、急峻な山岳地帯に覆われているために必然的に道路はつづら折れの峠道となります。
山の斜面を削って道を作る関係上、道幅は狭く、コーナーの曲率も山肌に合わさざるを得ないので曲率も高いのが特徴。さらにアップダウンは激しく、回り込んだコーナー、いわゆるヘアピンコーナーが連続することになります。いわゆる七曲です。
「箱根の山は天下の険」
と歌われますが、七曲をもつ箱根の道が日本の代表的な道路といっていいでしょう。つまりドイツと日本とじゃ、そもそも地形が違う、道路が違います。国土の広い狭いに関わらず、問題は地形なのです。
その昔、まだ箱根の道が舗装すらされていなかった時代。トヨタクラウンはこの箱根越えを目指してクルマの開発を進めたほどです。なにかニュルに近いものを感じますね。
結局舗装、未舗装に関わらず、自動車は道路があってはじめて成立するものなのです。そして道路を自動車が走ることで交通が構成され、これらは密接に影響しあいます。それぞれが独立しているわけではありません。
ドイツの交通をみたときに、特徴的なのは平均速度を高く維持しようとしている点です。例えば、
・ランナバウト(信号不要、一時停止不要の交差点)
・速度無制限のアウトバーン
・速度制限100km/hの郊外道路
・信号が少ない
などなど。基本的にクルマを停止させよう、速度を落とさせようという、いわゆる交通の障害となるものを排除しようという意図が見えます。一方で危険や事故に対しては非常に神経質で、事故が起きれば事故調査をきっちりし、それが自動車なのか、ドライバーなのか、道路の問題なのか、徹底的に調べつくします。
日本の交通をみると、逆にとにかく速度を出さないことが正義です。
・50年前から速度制限100km/hの高速道路
・50km/h前後に制限される一般道路
・信号だらけの交差点、一時停止
とにかく信号が多く、交差点には必ずついているのではないかと思うほど。ただ信号は機械であり、赤信号でとまっても交差する道路に1台も交通がない状態でも止まらせることもあるので非効率的です。さらにはこの信号のつながりをあえて悪くして交通を阻害させている幹線道路もあるほど。
事故が起きるとほとんどの場合「ドライバーのミス」「速度の出し過ぎ」と決めてかかり、道路構造上の問題や車両特性の問題は言及しません。速度を出させないことが絶対正義なのです。
免許制度にも大きな違いがあります。
ドイツの場合、免許取得はかなり高いハードルを設けており、適性試験で不合格な人間は一生免許を取得することができません。また交通ルールを覚えるだけではなく、実践的な技量が必要とのこと。
一方日本の場合、自動車免許は「写真付き身分証明書」としての役割を担うべく、自動車教習所でお金を払えば、どんなに適性がなく、技量が低かったとしても大抵の場合卒業証書を貰え、免許を取得することができます。卒業試験で「君は運転に向かないから、運転しないと誓うなら、卒業させてあげる」といって免許をとった人が私が知っている限りでも数名いますし、実際にバイクの実技のときにもS字からバイクだけが外周路に「発射」されてきたのを見たことがあります。どうやらアクセルをあけすぎてバイクが急加速、縁石に乗り上げて数メートルジャンプして、ライダーは振り落とされてバイクだけが飛んできたわけですが、その人もなぜか試験合格していました。いや、それはダメでしょう。
といった具合に免許が形式化しています。かくして下手なドライバーを量産し、速度を抑えることでなんとか体を保っているのが日本ということができます。
そんなわけでドイツと比較するのも、大変ドイツに対して申し訳ないとしかいいようがない状況。その上似ている、だなんておこがましいです。
ドイツの場合、交通に関わるものすべてが一つのゴールに向かっています。それは「遠くに速く、安全に到着すること」です。そのために自動車、道路、ドライバーすべてが協業しあっています。
一方日本の場合、縦割りでそれぞれが対立しあっています。最たる例は新東名高速道路でしょう。設計速度140km/hで作られたのにも関わらず、警察は100km/hに制限しました。これは自動車とドライバーを
信用しておらず、本気で事故が増えると思っています。確かに粗製乱造で免許を交付している現状を考えるとそれもそうでしょうが、それならばなぜ運転技量をあげようとしない、という話です。
自動車も自動車です。ドライバーの運転を助けるといいつつ、ドライバーの運転技量を上げないための装備ばかり開発し、ドライバーはますます下手になっていきます。自動ブレーキはよそ見運転を助長するばかりで、暇になったドライバーは携帯でLINEを打ち込むばかりでしょう。
かくして速度を出せないクルマはそれ以外のところばかり進化し、ドライバーは退化していくという図式のできあがりです。ドイツに追いつくどころか、ますますその差は開くばかり。これは自動車単体だけの問題ではありません、道路行政、ドライバーの技量からマナーに至るまで、すべてにおいて後進的。
たとえニュルで素晴らしいクルマを作ったとしても、その価値が分からないドライバーには伝わらず、実際にその性能を発揮できる場所もなく、売れないということになるでしょう。それよりも自動ブレーキのついた軽自動車の方がよっぽど反響がある、というのが日本マーケットのいびつなところです。
どうしてこんな違いが生まれてしまったのか、それは地形の問題だけなのでしょうか?
実は日本における自動車交通の考え方が、どこかの段階でボタンのかけ違えがあったからに由来します。
(つづく)