「おっとFFの悪口はそこまでだ!」 FR至上主義、FFはつまらない、という風説に苦言
2012.01.05 寄稿者: のま (元記事)FRもFFも、それぞれいいところがあるんですよねえ。どちらも同じクルマなんですから、仲良くして欲しいものですが。
わりかし怒っています。
というのも雑誌でFR(フロントエンジン、フロント駆動の自動車)を礼賛しFF(フロントエンジン、フロント駆動の自動車)をこき下ろす記事を読んでしまったから。いやいいんです、FRが好きだ、楽しい、素晴らしい、というのは。ただそれを引き立てるために相対するものをこき下ろす、貶めるのはいかがなものかと。
そしてこの風説、論調はまさにアルテッツァが発売される時期に符合します。あの時もFFは速いけど面白くない、運転が上手くならない、など言葉巧みにFRを礼賛していました。
しかし果たしてそうなのでしょうか?
私自身、現在FRとFFのどちらも乗っていますし、車歴を振り返ってもほぼ半分半分となっています。その経験でいえばどちらもいい点、悪い点があり、どちらが優れている、劣っているというものではありません。一言でいえば「多様性(diversity)」のひとつであり、自動車の進化の歴史の中の一つの枝葉です。
似たようなことはコンピュータの歴史の中でもあります。
iPhone vs Android、Windows vs MacOS、インテル vs モトローラ、NEC PC-8001シリーズ vs シャープMZシリーズ、マイコン族 vs ナイコン族...
など枚挙にいとまがありません。どれをとっても不毛で、時期が過ぎれば忘れさられてしまうという点で共通しています。
でまあ怒っている一番の理由は日本人の悪い癖として「どっちがいいか、悪いか」という二元論にしたがるところ。せっかく八百万の神の国なんだから、もっと多様性があっていいじゃないですか。FRのいいところ、悪いところ、FFのいいところ悪いところがあって、それぞれなんです。今現在もFFとFRに乗っていますけど、どちらも運転は楽しいし、用途によって使い分けができてとてもいい組み合わせだと思っています。それだけに二元論は賛同できないどころか、非常に憤りを感じてしまうわけです。
【FRのいいところ、悪いところ】
FRのいいところは運転がしやすい、素直な点。いわゆる「ハンドリングがいい」というものです。ではこのハンドリングの良さはどこから来るのでしょうか? 簡単にいうとステアリングは前輪、アクセル(駆動)は後輪と役割分担ができていること。そして車の回頭性に対してステアリングとアクセルの両方で作用することができます。
悪いところとしては重量配分が悪い、重量が重い、空間効率が悪い、といった点です。
長く重いプロペラシャフトは室内を、デフはトランクスペースを狭めます。さらにこの駆動音が室内に侵入し、NVHに悪い方向に作用します。
【FFのいいところ、悪いところ】
FFのいいところはエンジン、ミッション、駆動輪すべてがフロントに集中し、空間効率がいいところ。そして製造コストも低く抑えられるのでリーズナブルな価格です。そのためエンジン横置きのFFは今ではすっかり主流で、スポーツカーを除く一般的な自動車はほぼすべてFFといってもいいほど。
大衆車にFFはとてもあい、イギリスのMINIがその代名詞的存在。日本でいえばホンダ・シビックがそれにあたります。軽く、小さいけど中は広い、コストが(FRと比べて)安いといった点で爆発的普及をします。
そんな歴史の中でレビン・トレノもFRだったAE86からFFへと変更されるわけですが。
悪い点としてあげられているのは初期のFFにあったハンドリングの悪さ。特にタックインと呼ばれるアクセルオフで巻きこむ現象が「危険」、FR時の運転感覚に合わない、駆動輪と操舵輪が同じでトルクステアによりハンドルがとられるなどFRから乗り換えたときの戸惑いと合わせて過大に悪く評価されている印象です。
よくFRは動物と同じで後ろ足で地面を蹴るから感性にあっている、といいます。しかしこれは半分あたっていて、半分違います。まず、人間は4足ではなく2足歩行だから自分の身体感覚の延長ではありません。とすれば、どちらかというと乗馬に近い感覚でしょう。
次に自動車は動物ではないということ。あくまでも人間が作りしたもうた精緻な機械に過ぎません。その機械に乗る、というのが自動車です。
馬に乗るという延長上で機械の馬に乗ると考えれば確かに後輪で駆動するのは妥当です。しかし乗馬はなにも馬に乗るだけではありません。馬に引っ張ってもらう馬車もそのひとつ。馬車の歴史は古く、紀元前2800年古代メソポタミア遺跡でもその存在を示すものが発掘されています。
馬車 - Wikipedia紀元前2800~2700年の古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代などで広く用いられた。
古代ローマでは戦闘用として戦車が用いられたほか、娯楽として戦車競走が盛んに行われた。現在のローマ市にあるナボーナ広場は当時の戦車競技場の跡地であり、広場全体の形が当時の競技場のまま残されている。映画『ベン・ハー』で描かれた戦車競技が良く知られている。
馬2頭に2輪の戦車(チャリオット)は構造的にフロントエンジン、フロント駆動になります。荒れ狂う馬2頭をたずなで操り、戦車がコーナーで外側に流れ出すのを自らのハングオンで抑え込みながらコーナリングしたメソポタミアの騎手(ドライバー)の姿が目に浮かびます。
機械の馬を操るという点で、実はフロントが引っ張る形が意外にも歴史が深く、なおかつレースも行われていたことは興味深いです。
普通の馬車にしても、牛車にしても結局すべて荷台を引っ張る形であり、どれも押す(リア駆動の)ものではありません。これは押すのが不安定であることを経験的に知っていたからでしょう。
その点からもFFは実に自然ですし、レースにも使われていたことを考えれば十分スポーツカーとしての要素をもっているはずです。
たまたまこの100年の内燃機関、自動車の歴史的にFRが主流だったからといって、技術的に未熟だった頃のFFのイメージで悪くいうのは、よろしくないです。
さらに内燃機関が終焉を迎えようとしている現在、モーター時代にはプロペラシャフトおよびトランスミッションは不要、EVスポーツカーを語る上で駆動方式はもはや FFかMRかRRかしかありえません。
さらにインホイールモーターになってしまう可能性だってあるのです。未来を見通すとFRにはまったく将来性がなくノスタルジーもほどほどにしとかないと。
FRが運転しやすい、荷重変化が分かりやすくドライバーを育てるパッケージなのはきっとそうでしょう。私も子供が免許をとったときに運転させる車はFRにしたいと思っています。
▼「オヤジ~、クルマ買ってよ」 2021年の会話(想像) #TMS2011 ([の] のまのしわざ)
しかしだからといって自動車評論家がFFを悪くいうのは、看過できませんね。FFはFF、FRはFR。それでいいじゃないですか。そうでないと今の日本車の大半を占めるFFを否定することになり、結局自動車離れを加速しますよ。