伝説のF1マシン6台走行! 星野一義VS中島悟のF1バトル! 鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デーは3月3日、4日 #f1jp
2012.01.17鈴鹿サーキットは50周年です。
これを記念し鈴鹿サーキットでは 3月3日、4日にファン感謝デーを開催します。この目玉が往年のF1マシンの走行。その数なんと6台!
- ウィリアムズFW11
- ロータス100T
- マクラーレンMP4/5
- ロータス101
- ラルースLC90
- ミナルディM192
鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デー | 鈴鹿サーキットHondaのF1第2期黄金時代を支え、日本中を巻き込んだF1ブームを演出した
歴代のマシンがその姿を再びファンの前に!!1964年から68年までの第1期F1参戦で2度の優勝を記録したHondaは、チームにエンジンを供給する形で1983年にF1復帰。86年ウィリアムズが見事にコンストラクターズチャンピオンを獲得し、この年からHondaエンジン搭載車が6年連続でコンストラクターズチャンピオンを獲得。ドライバーズチャンピオンも翌1987年から5年連続で獲得するなどHonda第2期黄金時代の幕が開いた。
1987年には初めて鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催され、中嶋悟がロータスで日本人初のフル参戦を果たすなど一気にF1ブームが巻き起こり、日本グランプリには多くのファンが訪れた。
88年、Hondaは新たにマクラーレンにエンジンを供給。A・セナ、A・プロストの2人で全16戦中15勝を記録する圧倒的な強さでコンストラクターズ、ドライバー(セナ)のWチャンピオンを獲得。1990年日本グランプリは、フェラーリに移籍したプロストとマクラーレンのセナがスタート直後の第1コーナーで接触する大波乱。そんな中粘り強い走りを見せたラルースの鈴木亜久里が日本人初の表彰台となる3位フィニッシュ。
1991年、中嶋悟は5年に渡るF1活動の幕を閉じ、92年にはHondaも数々の記録を打ち立てた第2期F1活動を休止。この輝かしい時代を彩った6台の名車が、鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デーの会場で、その雄姿を再び披露してくれることになった。
さらに。
鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デー | 鈴鹿サーキット星野一義、中嶋悟、誰もがその名を知る日本を代表する元トップドライバーだ。2人の数々の名勝負はそのまま日本のモータースポーツの歴史と言っていいほどの戦いだった。世界最高峰のF1の舞台で両雄が対決することを誰もが夢見た。
しかし現実は、中嶋は87年日本人初のF1フル参戦を果たしたが、星野は日本一速い男として国内に君臨したため、再び2人が交わることはなかった。誰もが夢見たこの2人のF1競演が鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デーの舞台で現実のものとなる。
1986年のF2最終戦、JAF鈴鹿GPレース以来、実に26年ぶりとなる両雄の競演だ。
これは楽しみですね!