歴史への理解と乗り物を堪能する父子旅 Day2 (part1) 佐渡金山~佐渡奉行所、近代産業遺構
2016.04.11
2日目は歴史のお時間です。向かったのは宿泊した相川温泉から近い佐渡金山。訪れた順番とは逆にご紹介。
佐渡金山
言わずと知れた世界の金山、佐渡金山。400年の長きに渡り金を産出し続け、江戸幕府、そして明治政府の懐を支えました。つまりこの日本経済を支えたといっても過言ではありません。
(江戸時代40.9t、明治以降 31.8t、合計72.7t)
かいつまんで歴史をいうと、佐渡では平安期より砂金が産出されており、戦国時代は上杉謙信がこの地を治めていました。関ヶ原で勝つと、徳川家康はこの地をまず押さえます、それが1601年頃。そして1602年に大規模な鉱脈が発見され、江戸幕府を開府するとほぼ同時にここ佐渡を直轄地(天領)とし、数ある「奉行所」の最初となる「佐渡奉行所」をおいて統治したというわけです。
金山は金鉱なので穴をほり、そこから鉱石を算出。鉱石から金、銀を抽出し、なおかつ管理するのが奉行所の主目的。時と場合によりここで小判まで作っていたということから、大蔵省と造幣局の役割を兼ねていたもので、いわゆる裁判所的な意味合いが強い大岡越前とは大きく異なります。
それを頭にいれて見に行くと、非常に分かりやすいです。
ルートは2つ、江戸時代の宗大夫坑と明治時代の道遊坑。それぞれ料金が別で、セットで購入するとお得です。ルーティングとしては明治時代の道遊坑から行くのですが、歴史をたどることを考えると本当は宗大夫坑から入るのが筋なのですが、なにせお土産屋さんへ誘導するルートを考えるとこうならざるを得ないようです。
宗大夫坑、無宿人と水替人足
手掘りだった江戸時代は坑道は縦横縦横無尽。鉱脈があるところを探し当て、それにそって掘り進めるため縦に長くなりがち。すると出水がたまり邪魔なのでこの水を出さなければなりません。ポンプなどない時代、この水を出すのが水替人足です。
実際に使われていた坑道でリアルな人形が当時の重労働の様子を伝えます。これ、一人じゃ入れない、入りたくない!
水替人足は当時無宿人と呼ばれた戸籍(人別帳)から外れた人を幕府が捕えて、ここ佐渡島送りにしています。
無宿 - Wikipedia無宿(むしゅく)は、江戸時代において、現在の戸籍台帳と呼べる宗門人別改帳から名前を外された者のことである。 無宿には、江戸時代は連座の制度があったため、その累が及ぶことを恐れた親族から不行跡を理由に勘当された町人、軽罪を犯して追放刑を受けた者もいたが、多くは天明の大飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻により、農村で生活を営むことが不可能になった百姓だった。
村や町から出て一定期間を経ると、人別帳から名前が除外されるため、無宿は「帳外」(ちょうはずれ)とも呼ばれた。 田沼意次が幕政に関与した天明年間には折からの政情不安により無宿が大量に江戸周辺に流入し、様々な凶悪犯罪を犯すようになったため、それらを防ぐため、幕府は様々な政策を講じることになる。
今でいうところのホームレスですね。治安維持のため幕府自らがホームレス狩りをしています。
無宿人の他一部流罪で金山で働く人もいたようですが、奴隷とは異なりきちんと給金は出たとのこと。移動の自由はもともと江戸時代はありませんが、佐渡奉行所のあった相川地区は当時5万人規模の街になっていたということから、非常に繁栄していたことが伺えます。
スーパーリアルなジオラマ
模型ファンの目を釘付けにするのは、巻物に記載されていた金山の採掘から精錬、小判の保管までの様子を3D化したジオラマ。
凄い分かりやすいし、リアル。
お土産物屋の2Fにある展示ですが、これを見るだけでも1時間はかけられますよ。でも時間がないので、そそくさと。
小判とか金の延べ板って厳重に保管しておかないといけないのは、今も昔も同じ。千両箱に入れられた小判はいかにもな蔵に貯蔵されています。
憧れの金の延べ棒チャレンジ
そこに突然現れたのは、金の延べ棒、いわゆる金塊(本物)です。
しかもご丁寧に穴が空いて手が入れられるようになっています。これはもう、奪うしかないでしょ!
本物の金の延べ棒は13.5kg、想像以上に重く持ち上げるのも大変。
さらに手、腕が大きいと穴からでません・・・父子総動員、上着を全部脱いで試行錯誤した結果。
はっ、金の延べ棒はどこに!? そう、ここだ。
マジ重いです、13.5kg。時価約6400万円、、、この重さ、持って逃げたくなる気持ち、よくわかりました。
ただしですよ、1本でこの重さです。両手で持つのがやっと。よくルパン三世とかが延べ棒をボストンバックに何本も入れて逃げるじゃないですか、あんなの無理。5本でも65kg、10本では130kgですよ、バッグが引きちぎれるし持って走ることなんてできはしませんよ。
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映画「ミニミニ大作戦」ではこの金塊を運ぶためにわざわざサスペンションを強化するというくだりがあったのですが、「そんな大袈裟な~」と思ってましたけど、これもってみてよく分かりました。というか余りにリアルすぎ、イタリア人ってそんなに金塊の重さを知ってるの?
道遊坑(明治時代)
徳川幕府が佐渡を上杉家から奪ったの同様、明治政府は倒幕に成功するとこの佐渡を奪います。近代化が進む明治政府はそれまでの手堀りから一転、近代的な設備を導入、短期間に大量の金を掘りつくすことになります。
ピークは太平洋戦争直前、昭和15年の1537kg、単年度としては最高。その後急速に落ち込むのは戦争の影響と掘りつくしたからでしょうか。
電動トロッコを中心とした水平な坑道と垂直に伸びる竪坑の組み合わせで、搬出を効率的にしています。我々の坑道のイメージはこちら。
鉱脈が山の外に出ていたこの割戸では掘っては下に落として、トロッコで運び出すという作業でした。
トロッコは水平に移動、充電や整備のための工場へ入ったり。
ここではトロッコの車両を回転させて、中の鉱石を粉砕場に落とす設備。空になったトロッコはまた坑道へと戻ります。システマティックですね。
こちらが落とされた鉱石を処理する工場。そのため崖にそって縦長になってます。
石積みのアーチ橋があるなど、明治時代を偲ばせます。
フォントがかっこいい。
そしてこの鉱石から金、銀を選別、精錬するのがふもと、佐渡奉行所やそのすぐ横にある北沢地区の処理場です。
佐渡奉行所
外から見ると地味ですが、説明を受けてビックリ仰天。
まずこの奉行所、以前学校のグラウンドだったのを掘り返してみたら出土した遺構を元に精密に再現。間取りから何から何まで再現しちゃったので、観光地っぽいところはナシ。演出もナシ。質実剛健、まさに江戸時代にタイムスリップ。
裁きをしたというお白州は時代劇のイメージと違い屋根がついてます。これも「雨や風が強かったら裁判できないってことはないでしょう」と実用的な作りに基づいてのこと。
そしてこれは金の精錬に必要とされた鉛の板。当時は人力で運んでいたので背負いやすいように丸い、まるで亀の甲羅のような形状になっており通常は40kg、これは30kgのもの。
実際に持ってみたら重い重い、さすがは鉛です。
きちんといつ、誰が作ったのか彫ってあります。
そして重要なのは下にある精錬工場「勝ち場」。もともと学校の校舎があったということで、明治政府は本当に江戸幕府のものがキライなのか、陸軍が入るか学校を作るかして綺麗サッパリ痕跡を消しますね。
精錬過程を当時の装備で見ることが可能。
明治以降、近代化でおおがかりになったとはいえ、やっていることはまったく同じ。叩いて崩して精錬して分離です。
その近代化工場は奉行所のすぐお隣、病院の下にありました。
北沢地区施設群
廃墟萌え、土木萌えにもピッタリすぎる大規模工場。
煉瓦作り、コンクリといかにも明治以降の建物ですが、上屋はなくなっているためあとは風化するのみ。
大間港
この北沢地区で処理された金、銀、銅を出荷するために作られたのが大間港。
こちらも風化が進み、廃墟感が漂う場所ですが、栄華の片鱗が伺えます。
もともとはトロッコに石が積んであったのが、錆びて穴があきボロボロになって石も崩れたという。この地域は現代の自動車も錆があちこちに出るくらい潮風の影響が強いようで、鉄はもちません。
佐渡400年の歴史
今、ここ佐渡金山は世界遺産登録を目指しているということで、地元ボランティアの説明員の方が佐渡奉行所について熱く語っていました。実際その説明をきいてから佐渡金山をみるとその歴史の長さ、栄華を極めたであろう街の発展など、非常に興味深いです。
(つづく)
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