歴史への理解とサバイバル力を高める父子旅 Day2 上田合戦の舞台、小諸城址~上田城址
2015.08.09ルート
・懐古園(小諸城址)
・上田城址
・別所温泉森林公園キャンプ場(予約してなかったのと、雷雨のため断念)
・信州まるべりーオートキャンプ場
走行距離 64km
キャンプ場
信州まるべりーオートキャンプ場 キャンプ場 | 青木村役場
・費用:高め(ハイシーズン車両1台 5000円)
・水場:ちょっと遠い
・トイレ:登山口側は新築、綺麗
・有料シャワーあり
・サイトへの車両乗り入れ:できる
・ロケーション:なかなかいい
・気温:そこそこ涼しめ
・混雑具合:空いている。静か。同じときにとまった人他1人(組)
・アクセス:ダート
食事
・煮込みハンバーグ、とうもろこし他
温泉・お風呂
・沓掛温泉 小倉乃湯(公衆浴場)大人200円、小人100円
日帰り温泉施設 | 青木村役場
コメント
S2000のトランク、キャンプの荷物で目一杯。しかしかなり構造的に積むことができた。コツは硬いものと柔らかいものをうまく配置すること。形の整っているもの、硬いものを中央部分に、外側の部分に衣服など柔らかいものを詰め込むことで入れることができる。
湯の丸高原キャンプ場から出るのはかなり一苦労。
普通はこんな道に乗り入れない。
段差が激しく、車高の低いS2000ではフロントをするし、腹を打つ。そこで石を積んで段差をクリア。
懐古園、つまり小諸城址は由緒正しい城跡。
城跡にありがちだが、なぜかミニ遊園地とミニ動物園がついている。
趣のある野面積みの石垣と手前の黒門橋。
ここ小諸城址は穴城と呼ばれ、自然の急峻な崖、谷を利用した山城。
ミニ動物園は谷を挟んで向かい側に、さらにその先の谷の下にミニ遊園地が配置されており、高低差があることも手伝い、お互いの行き来はしにくい。まさに自然の要害である。
ここ小諸城は関ヶ原に馳せ参じる徳川家康の息子、秀忠が使い、上田合戦へとむかった場所。
小諸市観光協会 - 小諸城址『懐古園』慶長5年(1600年)天下分目の決戦「関ヶ原」に向かうべく、東軍の軍勢3万8千を率いて徳川秀忠が中山道を進んだ。碓氷峠を越え信州に入ると小諸城主・仙石秀久は、秀忠を小諸城の二の丸に本陣を構えお迎えした。二の丸からは、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所である。秀忠は、上田城開城を迫ったがのらりくらりと返事を先延ばしする真田昌幸に激怒、上田城攻略を命じる。ところが上田城に籠城する真田軍わずか3千5百の兵力に翻弄され決着がつかない。そこで小諸城内にあった海応院の住職が仲立ちし真田と和睦。この上田合戦で小諸に10日間の足止めされ、秀忠軍は「関ヶ原」の決戦に遅れてしまったのは有名な逸話。
このあと、向かうはもちろん上田城である。気分は秀忠、無能と呼ばれた二代目将軍になりかわって上田城攻略を父子で考える。
上田城は穴城と呼ばれた小諸城と比較すると平城といっていいほど平坦かつシンプルな縄張りである。南は神川の河原、本丸を四角く堀が取り囲み、二の丸に入られたらもう陥落したも同然、と思うのも当然なほどまさに「背水の陣」といっていいだろう。
関ヶ原の合戦(第二次上田合戦) / 真田氏の館 三代録 ――幸隆、昌幸、幸村 真田三代の記録まずはじめに上田城の北に位置している戸石城を落とすために、真田信幸隊が進撃した。戸石城は真田幸村が守っていたが、幸村は兄との戦闘を避け上田城に撤退した。信幸は無人となった城を確保し、これを守備した。
秀忠は9月6日に上田城外の染谷台に陣を進め、上田城を包囲した。そこに、昌幸・幸村が4、50騎を率いて城外に偵察に出てきたのである。昌幸は戦わないで城内に引き揚げると、徳川軍は昌幸を追って上田城に迫った。しかし、続く兵が少ないので後軍が来るまで待機していると、そこに真田の伏兵が現れ激しい戦いになった。
次第に押されてきた真田軍は城に退き始めた。これにつられた徳川軍は追撃をはじめ、上田城近くまで迫ったとき、伊勢崎城(虚空蔵山)から現れた伏兵が手薄になった秀忠本陣に襲い掛かった。徳川軍は混乱し、そこに向かって真田鉄砲隊が射撃をはじめた。さらに、真田幸村隊が城から討って出、秀忠軍を挟撃した。
徳川軍はかろうじて総崩れを免れたが、大損害を受けた。後軍は救援に来ようとしていたが、神川が増水しており流れが激しく渡ることが出来ない。これは、あらかじめ幸村が神川の上流をせき止めておき、徳川群の状況を見て、せき止めを切ったためであった。
しばらくして、徳川の後軍がやって来たので、幸村は上田城に退却し、篭城策をとった。秀忠はなおも上田城を攻撃したが、為す術がなく、また、老臣達の進言もあり、上田城攻略を諦めて、関ヶ原への道を急いだ。
しかし、秀忠軍が関ヶ原に着いたのは、決着がついた4日後であった。(『真田一族』小林計一郎著 によると、虚空蔵山の伏兵、神川のせき止めはなかったことになっている。地理的に無理があるようである。)
このような歴史を父子で振りかえり、楽しんだあとは本日のキャンプ場へ。場所はgoogle mapsで「キャンプ場」と入力、近くのキャンプ場を検索して向かう、いきあたりばったり方式。
別所温泉から細い道を上がったところに森林公園がある。この細い道は自動車1台がやっと、対向車がきたら一巻の終わりである。後できいたところ、逆側に広い道があり、そちらを使うといいらしい。
予約をとっていなかったこと、豪雨のために受付を兼ねている休憩所が閉鎖になったことからここでキャンプすることを断念。他へ向かう。
山を隔てて逆側の「信州まるべりーオートキャンプ場」へ向かうが、やはり途中からダート。豪雨の後だったので、こちらもかなりの悪路だったが、昨日ほどではなくきにせず進む。
するとバイクが転倒したままになっているのを発見、その先のキャンプ場にバイカーの人が困っていたので手伝って起こしてあげた。きくとそのバイカーの方もキャンプを張るという。管理人は休んでいておらず、連絡もとりにくいが他に人がいるのでそこでキャンプを張ることに決定。
昨日の経験から買いだしを上田市内で済ませてあったので、早速調理へ。
オートキャンプサイトなので、クルマを横にとめておけるのが便利である。
奥に見える公衆トイレは新築、ウォシュレット付きで清潔・快適。
温泉はダートを下り、近くの沓掛温泉へ。汗を流し、健やかに眠ることができた。
・市営キャンプ場は予約がないと管理人を派遣しないため、場所を決めたら電話で確認すること。
・民営キャンプ場であっても、電話して確認した方がいい。